文系プログラマの憂鬱
「たまに世の中が辛くなると、ここに来てウォッカ・トニック飲むのよ」
「世の中が辛いの?」
「たまにね」と緑は言った。
「私には私で色々と問題があるのよ」
人生はつらい。
つらさには色々ある。
砂漠の真ん中で今にも飢えそうな人の「つらさ」、
恋人に振られた時の「つらさ」、
はたまた親に怒られた女子高生の「つらさ」。
つらさは本当に多種多様で、単純な比較はできない。
しかし、文化や時代を超えても「それはつらいね」と共通に認識されているものがある。
よくある例としては、
親しい人の死、空腹、貧しさ、重い病気、
そして「文系学部卒でプログラマになる」ことである。
これらは洋の東西を問わず、「かなりつらい」と認識されてきた。
「つらさ」は宗教を生み、文学を作り、戯曲や絵画のモチーフとなってきた。
そして、「つらさ」を乗り越えるため人類は科学を発展させてきた。
しかし、未だ人類は「文系学部卒でプログラマになるつらさ」を克服していない。
死や病、貧しさや飢えは現代の科学をもってしても、予測や避けることが難しい。
だが「文系学部卒でプログラマになる」ことは知恵を絞れば避けられる。
きちんと大学の専攻とかこれまでの経験、自分の素養を考えて、
あとはIT企業にエントリーシートを出さないだけである。
人類の歴史において、時代の「節目」と呼ばれる瞬間がある。
その「節目」には、必ず文系学部卒でプログラマになる愚か者が現れるのだ。彼らはいつの世も、神々とSE・プロジェクトリーダーの怒りを買い、歴史書のインクの染みとして消えていった。
そしてその愚か者の一人がこのブログの筆者であるということには皆さんもすでにお気づきのことであろう。
このブログは、そんな「文系学部卒でプログラマになる」ことの憂鬱をモチーフにした壮大な叙情詩なのである。